朝井リョウの本はなぜおもしろい?モヤモヤ感情の代弁と「わかる」の同調感、自分を客観視できる魅力

作家

この記事でわかること

  • 朝井リョウの本が「おもしろい」と感じられる理由
  • 言葉にできなかったモヤモヤを代弁してくれる魅力
  • 「自分もそう思っていた」と感じる同調感の正体
  • 小説を読みながら、自分自身を客観視できる理由
  • 朝井リョウ作品が読後に心に残る理由

朝井リョウさん

朝井リョウの本はなぜおもしろい?

朝井リョウの小説を読んでいると、「なんだか分かる」「こういうこと、あるよね」と感じることがあります。

でも、その「分かる」は、単純に登場人物に共感できるというだけではありません。

むしろ、自分でも気づかないうちに抱えていたモヤモヤや、人には言いにくい感情を、登場人物が代わりに言葉にしてくれる。

だからこそ、「そう、それが言いたかった」と思わされます。

さらに面白いのは、読んでいるうちに他人の話を読んでいたはずなのに、自分自身を見せられているような感覚になることです。

朝井リョウの作品のおもしろさは、単純な「共感」だけではありません。

感情を代弁される→「わかる」と同調する→自分自身を客観視する。

この流れこそが、朝井リョウ作品の大きな魅力なのではないでしょうか。

モヤモヤしていた感情を代弁してくれる

「嫌い」とまでは言えない。でも、なんとなく引っかかる

朝井リョウの作品で印象的なのは、人間の感情を「好き」「嫌い」「善」「悪」のように簡単に分けないところです。

たとえば、誰かに嫉妬してしまう。

人から評価されたいと思ってしまう。

「そんなに興味がない」と言いながら、本当は周囲の目が気になっている。

友達を大切に思っているのに、心のどこかで比較してしまう。

そうした感情は、誰にでも多少はあるものです。

しかし、わざわざ人に話すほどではない。

だから自分でも、「こんなことを考える自分は嫌だな」と片づけてしまいます。

朝井リョウの小説は、そうした名前をつけにくい感情を、登場人物の言葉や行動を通して浮かび上がらせます。

「自分だけじゃなかった」と思える

ここで生まれるのが、読者の「わかる」という感覚です。

自分の中にあるけれど、うまく言葉にできなかった感情。

それを小説の中で見つけると、

「あ、自分もこういうことを考えていたんだ」

と気づかされます。

この感覚が、朝井リョウの作品を読む大きな面白さの一つです。

  • 正欲 (新潮文庫 あ 78-3)

「わかる」が生まれる同調感が刺さる

共感というより「同じところを見つけた」感覚

朝井リョウ作品の魅力を語るとき、「共感できる」という言葉だけでは少し足りない気がします。

なぜなら、登場人物のすべてに共感できるわけではないからです。

「この人の考え方は好きじゃない」

「こんなことするなんて嫌だな」

と思うこともあります。

それなのに、読んでいるとどこかで、

「でも、この気持ちは分かる」

と思ってしまう。

この絶妙な距離感が、朝井リョウ作品のおもしろさです。

「自分も同じことをしているかもしれない」

そして怖いのが、登場人物の嫌な部分を見ているうちに、

「自分にも似たところがあるかもしれない」

と思えてくることです。

人を見下してしまう。

誰かと自分を比べてしまう。

周囲に合わせながら、本音では違うことを考えている。

評価される人を素直に喜べない。

こうした感情を、私たちは普段あまり自分から認めようとはしません。

しかし朝井リョウの作品では、それが物語として目の前に出てくる。

だから「他人事」として読んでいたはずなのに、いつの間にか自分の問題になっていきます。

朝井リョウの本を読むと、自分を客観視できる

小説を読んでいるのに「自分」が見えてくる

朝井リョウ作品の面白さは、登場人物を観察できることだけではありません。

登場人物を通して、自分自身を少し離れた場所から見ることができるのです。

普段の生活では、自分の感情を客観的に見るのは意外と難しいものです。

「自分は正しい」

「自分は悪くない」

「相手のほうがおかしい」

そんなふうに、自分の立場から物事を考えてしまいます。

ところが小説になると、自分とは違う人物の視点から物事を見ることができます。

そして、

「もしかしたら自分も、こう見えているのかもしれない」

と考えられるようになります。

自分の中にある「嫌な部分」に気づかされる

朝井リョウの作品が刺さるのは、読者を気持ちよくさせるだけではないからです。

「分かる」と思わせた直後に、

「でも、自分も同じじゃない?」

と問い返してくる。

この感覚があります。

だから読後に残るのは、単純な爽快感だけではありません。

少しモヤモヤする。

なんとなく考え続けてしまう。

「あの場面、もしかしたら自分にも似た経験があったな」と思い出す。

その余韻が、朝井リョウ作品の魅力につながっているのではないでしょうか。

朝井リョウの作品は、なぜ人によっては「苦手」「嫌い」になるのか?

朝井リョウさんの作品は、「面白い」「リアル」「刺さる」と評価される一方で、「苦手」「読んでいてしんどい」と感じる人もいます。

一見すると正反対の評価に思えますが、実はどちらも朝井リョウさんの作品が持つ人間のリアルさから生まれているのではないでしょうか。

朝井リョウさんの作品では、人間の弱さや矛盾、嫉妬、劣等感、承認欲求など、普段はあまり人に見せたくない感情が描かれます。

それを「よく分かる」と感じる人にとっては、大きな魅力になります。

しかし反対に、

「そこまで人間の嫌な部分を見たくない」

「小説を読んでまで、自分の嫌なところを考えたくない」

と感じる人にとっては、読むこと自体が疲れることもあります。

「面白い」と「苦手」は、実は同じところから生まれている

ここが朝井リョウ作品を考えるうえで、とても興味深いところです。

たとえば、朝井リョウさんの作品を読んで、

「この登場人物の気持ち、分かる」

と思ったとします。

これは作品の大きな魅力です。

自分でもうまく言葉にできなかった感情を、登場人物が代わりに表現してくれる。

「そうそう、こういうことなんだよ」

と、読者の中にあるモヤモヤが言葉になっていきます。

ところが、その「分かる」が進んでいくと、少し怖くなることがあります。

「待てよ。この登場人物の考え方が分かるということは、自分の中にも同じような部分があるということでは?」

そんなふうに、自分自身に跳ね返ってくるからです。

つまり、

「共感できるから面白い」

と感じる人がいる一方で、

「共感してしまう自分に気づくのが嫌だ」

と感じる人もいる。

この違いなのではないでしょうか。

「嫌な人物」だと思っていたのに、自分と重なってしまう

朝井リョウ作品の怖さ、そして面白さは、登場人物を単純に「いい人」「悪い人」として描かないところにもあります。

最初は、

「この人、嫌な感じだな」

と思っていた人物の考え方が、読み進めるうちに少しずつ理解できてしまう。

すると、

「この人の気持ちも分かるな」

となってしまいます。

さらに、

「もしかしたら、自分も似たようなことをしているかもしれない」

と考えるようになる。

ここまで来ると、読者は単純に物語を楽しんでいるだけではありません。

自分自身を見せられているような感覚になってきます。

だからこそ、朝井リョウさんの作品は「刺さる」のだと思います。

そして同時に、その「刺さり方」が強いからこそ、苦手だと感じる人がいても不思議ではありません。

実は、朝井リョウ作品の「苦手」と「面白い」は表裏一体なのではないか

朝井リョウさんの作品について考えるとき、私は「面白い」と「苦手」は、それほど遠いものではないのではないかと思います。

むしろ、同じ特徴の表と裏なのかもしれません。

モヤモヤした感情を言葉にしてくれるから面白い。

でも、その感情が自分の中にもあることに気づいてしまうから苦しい。

「自分もそう思っていた」と共感できるから面白い。

でも、共感したくない感情まで「分かってしまう」から嫌になる。

登場人物を客観的に見られるから面白い。

でも、気がつけば自分自身まで客観視させられてしまう。

この構造こそが、朝井リョウ作品の大きな特徴なのではないでしょうか。

小説を読んでいるはずなのに、自分を読まされている

朝井リョウさんの作品を読んでいると、

「この人はどうしてこんなことをするんだろう」

と登場人物を分析しているつもりになります。

ところが、いつの間にか、

「自分だったらどうするだろう」

「自分も同じようなことをしたことがある」

「なぜ自分はこの人物にこんなに腹が立つんだろう」

と、自分自身について考え始めてしまう。

ここに、朝井リョウ作品の独特な面白さがあります。

小説の中に描かれているのは「他人の人生」なのに、読んでいるうちに「自分の感情」が浮かび上がってくる。

だから、読み終わっても簡単には終わりません。

物語は終わっているのに、自分の中ではまだ考え続けている。

それが「面白かった」という感想だけでは表現できない、朝井リョウ作品の魅力なのだと思います。

「苦手」と感じることも、作品に強く反応している証拠かもしれない

もちろん、作品が自分に合わないと感じることは悪いことではありません。

読書は人それぞれですし、明るく爽快な物語を読みたいときもあれば、人間の複雑な部分を描いた作品を読みたいときもあります。

ただ、「朝井リョウ作品は苦手」と感じたとき、その理由を少し考えてみるのも面白いかもしれません。

「登場人物が嫌いだったから」なのか。

「読んでいてモヤモヤしたから」なのか。

「自分のことを見透かされているように感じたから」なのか。

もし最後のような感覚があるのなら、それは朝井リョウさんが描く人間のリアルさに、強く反応したということなのかもしれません。

面白いから刺さる。

そして、

刺さるからこそ、苦手にもなり得る。

この「面白い」と「苦手」の両方を生み出しているものこそ、朝井リョウ作品の大きな魅力なのではないでしょうか。

なぜ朝井リョウの作品は「刺さる」のか

きれいごとだけでは人間を描かない

人間は、いつでも優しく正しいわけではありません。

誰かを羨ましく思ったり、嫉妬したり、見栄を張ったり、周囲に合わせたりします。

しかも、そうした感情を持っている自分自身に気づいていないこともあります。

朝井リョウの作品には、そうした人間の矛盾や弱さ、言葉にしづらい感情が描かれています。

だから読者は、

「こんな人いるよね」

と思うだけでなく、

「自分もこういうところがあるかもしれない」

と考えさせられます。

読み終わったあとも考えてしまう

本当に印象に残る作品は、読み終わった瞬間にすべてが終わるわけではありません。

むしろ、本を閉じたあとに、

「自分だったらどうするだろう」

「自分も似たようなことをしていないだろうか」

と考え始める。

朝井リョウの作品には、そうした読後の余韻があります。

それが「面白かった」で終わらず、**「なんか刺さった」**という感覚につながっているのだと思います。

朝井リョウの本は「自分のことを知る小説」でもある

朝井リョウの作品を読む魅力は、物語の続きを知ることだけではありません。

登場人物の感情を追いかけながら、自分自身の感情にも気づかされます。

「自分は何に嫉妬するのか」

「なぜ人から認められたいのか」

「本当は誰と自分を比べているのか」

「なぜこの登場人物にイラッとしたのか」

そんなことを考えているうちに、いつの間にか小説の中に自分が入り込んでいます。

だから朝井リョウの本は、人間を描いた小説であると同時に、自分自身を客観視するための鏡のような小説でもあるのではないでしょうか。

まとめ|朝井リョウの本がおもしろい理由は「自分の感情」を見せてくれるから

朝井リョウの作品が面白い理由を一言で表すなら、**「自分でも気づいていなかった感情を、言葉にして見せてくれるから」**ではないでしょうか。

モヤモヤしていた感情を代弁してくれる。

「自分もそう思っていた」と感じる。

登場人物に共感したり、反発したりする。

そして最後には、「もしかして自分も同じなのでは?」と、自分自身を客観視させられる。

この一連の体験があるからこそ、朝井リョウの小説は「面白い」だけではなく、「刺さる」「忘れられない」作品になるのだと思います。

朝井リョウの本を読んでいて、「なんか嫌なところを突かれている気がする」と感じたことがあるなら、それはもしかすると、作品が自分の中にある言葉になっていなかった感情を見つけてくれたからなのかもしれません。

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